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失語症の私が恋をした。 [恋したくなる話]


私は失語症。
そんな私が恋をした話です。

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私 20歳 
156㎝ 顔は普通

彼 26歳
180㎝ イケメン

私は生れた時は、言葉を話す事はできました。

正直、幼い頃の記憶はありません。
言葉を失った理由を思い出せません。
ただ、それが同級生の男の子達によるもので、
ストレスせいで有る事は伝え聞きですが、解って居ます。

言葉を失って、私は中学生の大半を家で過ごす事になりました。
母は何故か出ていってしまい、私の家には父と弟、犬だけになってしまった。

私は何をされたか覚えて居なかったに、引き籠り生活を送ってた。
ただ母が居ない事は少し寂しくて、泣いてた気がします。

父と弟が話している時に、
簡単な言葉で伝えようとしても、
会話を止めてしまう事がすごく苦痛だった。

一応担任や親の好意で高校へは上がれた。
でも割と高校は地獄でした。
クラスメートは良い子達なんだけど、
教師が、私が答えられないの知ってて指名したりしてきたり
「ああ、貴方は答えられないのよね」って言われたり。

私自身、自分の記憶がない以上自分のせいな気がして我慢してた。
今思えば、辞めさせるくらいの抗議をしてもよかったのかなと思う。

ある日、学校から帰宅しようとした時に携帯が鳴った。
母だった。

母はたまに電話をくれて私が声を出せないのを知って居るから
「はい」か「いいえ」で答えられる様な質問をくれた。

私はいつも拍手とかで答えてた。
でもその日は違って
「アンタが喋れなくなったから!!」と罵られた。
何も答えられないから母の話をただ聞くだけだった。

その時、どんどん胸が苦しくなってきて息が荒くなってくるのが解った。
呼吸出来ないのに、人は沢山いるのに、誰も私に気付いてくれない。
声が出ない事がすごく怖くなっ。
、このまま死ぬんじゃないのかなって…。
言ってしまえば過呼吸に陥ってしまったわけです。

そんな時、背後から肩を叩かれて声を掛けられた。
「大丈夫?」
そんな普通の言葉が嬉しくて、安心した。
正直顔なんか殆ど覚えてない。
でも何も言えない私を駅の事務室までおぶって行ってくれた。

それが彼との出会いでした。

そして、これ以来母からの電話はなくなった。

事務室で紙袋を貰って、本当は私が聞くべきなのは解って居るのですが
彼にお礼がしたいので、電話かけてほしいと言う旨を書いたメモを渡しました。
でも、落ち着いた後、もう彼は居ませんでした。

この時は好き、とかもなくて、助けてくれたお兄さん、だった。
今思えば、連絡先渡すとか何さまなんだろうと思います。

それから数日して、携帯の電話が鳴った。
知らない番号だったし、弟も居なかったので、出る事は出来なかった。
でも留守電に彼から
「あれから、どうしてるかな、って思って。別にお礼とかは良いので元気かだけ教えて下さい」
とメッセージが入って居た。
私はすごくうれしくて、思わず電話を折り返してしまった。

どう説明したら通じるか、だとかは考えてなくて、ただ彼にお礼を言いたかった。

3コールで彼が出た。
大人ぽいというか落ち着いた声の人だなって思った。
私は無言で、彼はずっと「もしもし?」と不安そうに聞いて居た。
どうにかお礼だけでも言いたくて、何度も口を開いた。
多分相手には唇の当たる音が聞こえてたんだと思う。

「もしかして喋れない?」

彼がそう聞いてきた。

でも「うん。」とは言えずにマイクを1回だけ叩いた。

「あーごめん。なんかそうかなーって思ったんだ。」
「気付かなくてごめん、今元気?」

私は1回マイクを叩いた。
一言も伝えていないのに
喋れない事を理解してくれる事が嬉しくて泣いてしまった。

声が出ないので嗚咽すら届かない。
だから思い切り泣いた。

「そっか、でも、またあんな風になったら音出して周りに伝えなきゃだめだよ」

優しい声で叱ってくれた。

正直父は良い人だけど、腫れ物を扱う様にされてたから
こうやって、純粋に怒ってくれるのが凄く、凄くうれしかった。

「泣いてるの?」

私はマイクを二回叩いた。
私の泣き声は同室に居ても聞こえない。

「嘘でしょwごめんね怒ったりして」
「高校生?若いなー、あの制服だと××かな?」

どうして喋らなくても解るのかな、って純粋に思った。
私はマイクを叩くだけだった。
でも彼はどんどん話して行く。
久しぶりに人と話すのって楽しいなって思った。

最後彼は
「また何か有ったら電話して、これも何かの縁だし」
そう言った。私は1回だけマイクを叩いた。
泣いてない事に続いて二回目のウソでした。

彼と出会って各段に何か、私に対する偏見の目が変わる訳ではありません。
辛い事がある度に、彼の電話番号を見ては、通話ボタンを押そうとするのですが
おせませんでした。
きっと彼の言葉を社交辞令だったらどうしようか、
そう思っては携帯を閉じました。

でも私は、彼の番号があるだけで、それでも真っ直ぐ生きていこうそう思えました。
もうこの時、私は彼が好きだったんです。
単純な女です、ちょっと優しくされたから惚れた、それだけですw





高校を卒業し、引き籠り等の支援教室の事務に就職しました。
大学へ行く事も考えましたが、主治医が薦めてくれるままに、働き始めました。

気持ちが悪い話ですが、その時の私の携帯の発信履歴は彼の名前が
ひとつ、あるだけでした。

働き始めたところは、幸いにも偏見の無い優しい方達ばかりで
話せない事を覗けば、すごく働きやすい職場でした。

働き始め、初めての冬。
私は高校時代の友人と食事を済まし、帰宅しようと駅に急いでいました。

ですが不意に、目の前に男性が転がってきました。
私の地域には珍しく雪が降って、シャーベット状に溶けだしていた。
思うにその男性は階段を上ろうとして、こけたのだろう。そう思いました。

立たせて直ぐに帰れば、喋らないで済むだろう。
そう考え彼に手を差し出しました。


「ありがとう」

酒臭い息と共に、優しい声が聞こえました。
一瞬で顔が火照ったのが解った。
男性が顔を上げて、その男性が本当に彼だと気付いた時
逃げ出したくなった。というか逃げた。

マフラーで顔隠して階段を上ろうとした。
そしてこけた。

痛くても声が出せない。無言の私。
今度は笑いながら私に手を差し出した。
やっぱり酒臭い。そして恥ずかしい
そう思いなが手をとって立った。

「お互い転んじゃったねー」
彼は笑った。
私は顔を上げられずただ頷いた。

「あれ、あの時の子、だよね?」
私は首を横に振った。

…三回目のウソ。

「ほら、またウソ付いたー、電話してくるって言ったのに電話してこなかったじゃん」

彼はへらへらと笑った。
上機嫌な様子だった。

「よし、お兄さんとメールアドレスを交換しよう」

そう彼は鞄から、ペットボトルを取り出した。
そして何も言わずしまい、携帯を取り出した。

私は首を振って断ろうとしたけど、最終的に酔っ払いには勝てずに交換した。

「これで、話ししやすいでしょ」

彼のその言葉を最後に別れた。
ずっと胸がドキドキしてた、もしあの時喋れたなら

「好き」だと言えたかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それから、彼とメールする様になって彼には付き合ってる女の人が居るのも知った。
告白しなくて良かったーって思った同時に泣いた。
でも今度は彼も気付いてくれなかった。

好きだなって思ったけど。今度は全然伝わらなかった。
それで、彼が優しくて人に気を使う人だから私の些細な変化にも気付けるんだって解った。

何度か彼に会ったり食事にも言った。
別に特別な関係にはならなかったし、多分兄弟か何かに見えてたと思う。

でも有る時、彼の言う彼女って言うのが、高校時代に亡くなった人だって言うのを聞いてしまった。
彼は彼女と別れて居ないし、他の人は好きになれそうになれないんだ。と打ち明けられた。

恋愛に夢見て居た私は、そんなに辛いものなのだろうか?
そんな風に思ったけど、一緒に泣いた。泣いて泣いて凄く辛くなった。

抱きしめる勇気もなかったし、優しい言葉すら掛けれない自分がもどかしかった。

それから、私達の関係は変わってしまった。
彼女の事も禁句で、会う事も無くなってしまいました。

きっと彼は私に女の子としての優しさを求めて居たんだと気付いた。
言葉がかけられなくても抱きしめたら良かったって後悔した。
同時に、貪欲な自分にも気付いてしまった、彼女はもう死んでいるのだから
付き合えなくても、彼と居られるのかもしれないって。思った。

そんな自分が嫌で彼と会えなくなった。
毎日の楽しみだった彼とのメールが苦痛になった。
メールが来るとうれしいのに、彼女の事、あの夜の事思い出して苦しくなった。

そんな事で私と彼は疎遠に。

そして去年の10月、また駅だったんだけど、改札を通ろうとしたら
切符がなくてあたふたしているところ、後ろから声を掛けられた。

「ほら切符落ちてるぞw」

いつもの優しい声だった、でも私が振り返って切符を拾ったら
じゃあなwとか言って、人混みの方に行ってしまった。

会えたって思ったと同時に、もう多分会えないんじゃないかって思って追いかけた。
でも私が人を追いかけるって結構面倒臭いんだ、声は届かないし。
体力や運動神経もないから。

だけど、兎に角口を開いて相手の名前を呼んだ。
聞こえなくてもいいやって思った。
もしかしたら言葉が出るかもしれないしって思った。

でも気付いたのは知らないおっさんだった…。
人生って上手く行かないなぁと思いながらホームで泣いてしまった。

そんな時…

「トゥルルルル・・・」

私の携帯が鳴った。

喋れないのも忘れて、誰の着信かも見ずに出た。

「もしや追いかけてきた?」

彼だった。

辺りを見渡したけど彼は居なくて二回マイクを叩いた。

「うそ。だって声したしww」

声なんかする訳ないだろ、からかうなって思ったら
涙が余計溢れてきて、鞄を殴った。

「ごめん。」

そう一言だけ言った、切ろうとしてるのが解った。

私は切られたくない一心で、携帯のマイクを叩いた。
本当に消えちゃうって思ったんだ。
もちろん私の思いすごしだったんだけど。

「じゃあまたな」
「なんだよw後でメールで聞いてやるってw」
「じゃあなw」
って彼はただ切ろうとする。

止める術が他に思い付かなくて、大きい声だそうとして口を開きながら
「すき」って何回も言った。

音にはならなかったと思う。


でも・・・
彼は答えてくれた。

「俺も。」

えっ!?って戸惑うと同時に一気に涙がやんだ。

「今まだ駅?」
携帯を叩いた。

その後1時間程で彼が来た。

もう1度、確認したくて口を動かした。

(すき)


すると彼が
「俺も」って答える。

「俺も好きです、付き合って下さい」


私は涙が出るほど嬉しかった。


彼は元彼女の事は忘れるつもりもないらしいけど
でも、別にそれは人をすきになっちゃいけない訳じゃないと考えていたようです。


彼と付き合っても言葉はまだはなせません。

なんか運命的なものかなと夢見て居た私ですが、
息使いで彼に好意を伝えられるだけで満足です。

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私の大事なものはもう戻ってこない。姑のせいで・・・ [姑問題]

私が嫁いだ場所は、舅が土建業の社長&自宅が会社、夫は社員という所。
なので自然と結婚したら同居という流れとなった。
姑は「私は社長夫人、私が一番偉いのよ」という感じの高圧的な人で嫁=奴隷と思うような人である。

ある出来事をきっかけに、私の復讐が始まりました。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

一度寝たら、どれだけ怒鳴ろうともなかなか起きない姑 。
同居した以上、将来の介護は嫁が絶対にするべきだと常日頃から口にするので 
事前に予習したかった私は寝ている姑をガムテープで体中固定して 
擬似寝たきりの体勢にしてみた。

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だけど縛られてるという異常はさすがに違和感なのか珍しく途中で起きた。
何をしてるのかと聞かれたので介護の予習がしたいからと言った 。

トイレはどうするんだと怒鳴ってきたので粗相をしたら介助しますと言った。
ふざけるなと怒鳴られたので至極真剣だと言った。

息子(夫)に言って離婚だとか騒いでいたが彼も了承してくれていると報告した。
そんなの本当は嘘。

彼にさっき電話で宣言したら急いで帰るから落ち着けと言われてる。
でもこの惨状を見たら彼は怒って私を殴るかもしれない。
追い出されるかもしれない。
私は彼を心から愛しているけど拒絶されるのであれば彼の幸せを考えて出て行く。

それも覚悟の上で、今回強行に走った。

なぜ、私がこんなことをしているのかというと、
実の子を姑に殺されたから。

お腹の子は一生帰ってこない。
姑には苦しんでもらわないと困る。

「女の子だからいらない」なんて理由で
この世の光を見る事なく消えてしまった我が子。

あの子はきっと最後の瞬間苦しみ抜いたに違いない。

姑には墓掃除にいくと無理矢理車に押し込まれ途中で捨てられた。
土地勘が全くわからない田舎の沿道を、炎天下の中歩き続けたあげく
途中で意識を失ってしまった。

気が付いたら病院のベッドで彼の口から赤ちゃんが駄目になってしまったと聞かされた。
姑は彼に「墓掃除の最中に突然姿を消した、妊娠の不安定で意識が朦朧としていたのだろう」と言っていたらしい。
それでも目を離したお袋が悪いと怒鳴り私には涙を流して謝ってくれた。
その後ろで姑はざまあみろと言わんばかりに私を嘲笑っていた。




例え犯罪者と罵られても構わない。
人様から後ろ指を指されても構わない。
あの子の苦しみを姑に味わってもらう為なら外道にでも何にでもなる気でいる。

でも、やっぱり彼に捨てられる不安が強くなってきて涙が止まらない。

お腹の中にいたはずの赤ちゃんが今でも悲しそうに泣いている気がして
どうしても姑を許せなくて何か仕返しがしたかった。

でも何よりもプライドの高い姑に恥をかかせるこの方法以外浮かばなくてとりあえず放置している。
夫と赤ちゃんにどれだけごめんなさいと謝ればいいのかわからない。
だけど姑だけは絶対に許さない。

...........................

夫帰宅後、状況を見て土下座された。

何となくは感じていたらしいが、私が「大丈夫、何もない」と言い張っていたので
彼の中では嫁姑間で解決する程度かも、ならしゃしゃりでたら余計にややこしくなるかも
と、彼なりに様子を見ていたそうです。

彼は姑のガムテをはがすとその場で腹パン。

それに逆切れした姑が
「あんな根暗な女最初から嫌いだった!しかも女腹の役立たず!母子ともどもしんでしまえばよかったんだ!」
と大爆発しだした。

それに絶句した夫は再び姑を縛り上げ放置。

舅が帰ってきてから今後の生活をしっかり話し合うという流れになった。

舅が帰宅して説明すると顔を真っ赤にしながら姑を怒鳴る。

そしたら、姑が
「そんな糞嫁に鼻の下のばして卑らしい!あんたらできてるんだろ!」
と、ありえない暴言まで。
全員絶句した。

舅は「土方家業のむさくるしい家に娘が出来た。家が明るくなった」
と喜んでくれただけで、姑は何故そう解釈したのか謎です
「アンタもムチュコタンもその性悪に騙されてる!その女と離婚汁!」
「ムチュコタンを奪われた精神的苦痛と今回の虐待で慰謝料よこせ!」
「保険かけて今すぐこの場でしね!」
とペラペラ自爆してくれたので夫舅両方激怒。
その場で舅姑離婚確定(書類はこれから)、姑実家に電話をかけ引き取ってもらう事になった。


舅が姑を連れて姑実家に向かい、二人きりになった時に夫からまた土下座をされた。

離婚されても仕方ない、慰謝料はちゃんと払うから、と言われたのですが、
離婚する気はない事、姑がいないのであればこのまま三人で生活出来る事を言いました。

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※関連記事※
死ねという姑へ仕返し。実際に死んでみた(偽首吊り)。
タグ:姑 復讐

【泣ける話】彼との最後のケンカ [カップルの修羅場]

2chの号泣する話。
これは泣けます。

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1年間同棲していた彼が他界した。

大喧嘩をした日、交通事故に遭った。
本当に突然の出来事だった。
その日は付き合って3年目の記念すべき夜だった。

しかし、仕事が長引いてしまって約束の時間に帰宅する事ができず、せっかく彼が用意してくれた、お手製の料理が冷めて台無しになってしまった。

いつも通り軽く詫びを入れて事を済まそうとしたが、その日の彼はいつもとは違い、私に対してきつくあたった。
丁度その時私は気分も優れず、仕事のストレスもあってか、そんな彼と話していくうちに強烈な憤りを覚え、つい言ってしまった。

「もういい!こんな些細な事でそこまで怒る事ないでしょ!あなたは自分の都合でしか物事を考えられないの!?」

彼は黙った。
少しの間の後で、私も少し言い過ぎたと思い、黙って席を立ち、界隈を散歩して頭を冷やそうと思い、一旦家を出た。

いつも通う小さな喫茶店で、30分少々の時間を潰した。
あの人もただ単に怒りに任せて私に怒鳴り散らした訳じゃない。
それだけ、今日のこの日の事を大切に思っていたからこそではないか、と考えた。
そんな彼の気持ちを思うと明らかに私の振る舞いは最低だった。
身勝手な自身を忘れ、改めて彼に謝ろうと思い、家に向かって歩いた。

しかし、彼は家には居なかった。





料理も、携帯電話も、机に置いたままだった。
マメなあの人が携帯電話を忘れるのは珍しく、近くにいるのかと思い、私は家を出て近辺を歩き回った。
しかし見つからない。
公園や近くの空き地も見たが、彼の姿は無かった。

彼の実家や、携帯を調べ、彼の友人宅等にも電話を入れたが、来ていないと言う。
家に帰り、2時間が経過した。
私はその時考えていた。
帰ってきたら頬をつねってやろうと。
幾らなんでも心配させすぎだ、悪戯が過ぎる、と。
明日は休日だからこんな事をするんだろう、と。

それが彼との最後の夜だった。

事故現場は家周辺の一方通行の十字路だった。
横から飛び出してきた車と衝突、即死だったそうだ。
時刻はPM10:20、丁度私が家を出て10分経過した時間だった。

その際彼が持っていた遺品は、缶コーヒー1本、女性用のガウンジャケット、現金で120円だということを聞かされた。
私のガウンジャケット、まだ未開封の缶コーヒー、私の為のジュース代。
細やかな気配りの中に、彼の深い愛情と優しさが感じられた。

一緒に帰りたかった。
その言葉を心の中でつぶやいた。
同時に私の目から涙がとめどなく溢れた。

改めて、彼という存在の大きさに気付いた。
ただ、情けなくて、悔しかった。

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タグ:泣ける話

本当にあった心霊体験 [心霊体験]

俺の姉ちゃんの体験した話。

真冬の物凄い寒かったある夜のことでした。

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姉ちゃんがベッドに寝てると、
自分の頭の横で、
何かバタバタ音がしたそうです。

姉さんは「うるさいなー」

と思いつつ、
何かを確認しようとして目を開けようとしたんですが、
目が開かない。

それと同時にバタバタという音がだんだんデカくなる。

「うわー何?何?」

と焦っていると、
いきなり、何かが胸に乗ってきた。

姉さんの胸の上で
ピョンピョン跳ねて、キャッキャッ笑ってるらしい。

明らかに小さい女の子の声だ。

もの凄い汗をかきながら、
姉ちゃんはわけわかんない念仏を唱えてると、
「目を開けて見て」って声がした。

姉ちゃんは、

「あけれません…」

と呟いてみると、
その何かが、

「目を開けて寝ると、まーるいお菓子が貰えてね。
大丈夫なの。
だからまーるいお菓子が貰えてね大丈夫なの。」

と繰り返す。

姉ちゃんは、
無理だと思いつつ目を開けてみると、
さっきまで開かなかった目が開けることができた。

そこには、どこにでもいそうな、
女の子が、馬乗りになって姉ちゃんの上に乗ってる。


姉ちゃんは気が遠くなり、
そのまま、意識がなくなった。




次の日の朝、姉ちゃんにその話を聞いた。

「そんなの嘘だろ。ありえねーよ。」
と俺は笑いながら茶化した。

「そうだよね?ありえないよねw」
なんて言いながら姉ちゃんも笑ってた。

でもそれが、
姉ちゃんと喋った最後の会話だった。

姉ちゃんは、
その日の通学中に車にひかれて死んだ。


目を見開いて。


葬式の時に、
お供え物の準備をしてると、
親戚の女の子が、俺のとこに走ってきた。

「これね、みっちゃんがね、お兄ちゃんに渡してって」

って言うから、

俺はテッキリその見知らぬ親戚のみっちゃんて子が、
俺にお菓子をくれたんだなって思って、
「ありがとう」って、受け取った。

その子が気になった俺は
「みっちゃんって誰?」って親戚の女の子に聞いてみると、

「みっちゃんはね、押し入れの中に住んでるから、外に出れないんだって
でも、もうすぐ出れるって」

俺はそれ以上何も聞けなかった。


女の子のくれたお菓子は、丸い旨そうな、まんじゅうだった。


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泣ける修羅場 [家族修羅場]

両親が事故で亡くなった。

もう9歳だったのに、ぼんやりとしか覚えていません。
泣いていた記憶はあります。

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あずけられた先で黙殺されたこと。
話しかけてもらえない。
笑ってももらえませんでした。
優しく構ってもらえるのが普通だと思っていたので、どうしたらいいか分かりませんでした。
こっちはよく覚えています。

これがわたしの最大の修羅場です。

そんな中、私の件で周囲でこんなやり取りがありました。

私をどうするか?という話し合い。
親戚は「いらない」「困る」「迷惑」と引き取る事を頑なに拒否をする。

「なら叔父にまかせたら?」 と言い始めた。
ただ叔父は、当時24歳会社員独身。
家によくやって来ては私とも遊んでくれていました。

「無理に決まってます」と様子見に来た叔父。
でも私は「おにーちゃん(そう呼んでた)」と叔父にすがりつき助けを求めた。

そしたら…
叔父「わたしが育てます」

親戚一同ざわつき出す。

叔父「おまえら人に押し付けて梯子外すのはやめろ!」
親戚「なら任すか」「でも男手だけじゃ」(無限ループで揉める)

叔父には当時21歳になる彼女がいた。
他県の大学で4年生でした。

彼女にも事情を話すと
「事情は聞かせてもらった。内定蹴ってそっち行って結婚するわ。これで解決でしょ」 と。
だが、叔父はその意見には賛成しなかった。
「22歳でいきなり10歳の子持ちとか正気じゃない。絶対だめ、無理。むしろ別れてくれ」
と別れまで切り出した。

しかし叔父の彼女は「誰かがやらなきゃ」と私を必死で守ってくれた。
見ず知らずの子供なのに・・・。

もちろん彼女の両親は賛成するはずもなかった。

叔父や彼女両親は「わざわざ不幸になるな。そもそも私子知らんだろ。諦めてくれ」と攻めていたけど、
叔父の彼女は「不幸になるって決めつけるな! あなたの娘なら関係ある!・・・ねえ、3人で幸せめざそう。ね(女の涙作戦)」と。

叔父「もう、そこまでいうならついてこいや。3人で行くとこまで行っちゃるわ」
彼女両親「おまえなんかもう娘じゃない。困っても、す、少ししか助けないんだからね!」

このあとも、両親との修羅場はずっと続いたようです。

それから、私の両親は叔父とその彼女になりました。




それからというもの、親が若すぎて好奇の視線や心無い中傷に苦しみます。
「育児完全素人」でなにをやっていいかさえ分かりません。

不安定な私に張りつくため、母は専業主婦でずっと寄り添ってくれました(在宅パートも少し)。
当時の父の給料では火の車状態。

そんな両親は私を育てるのに必死で結納も新婚旅行もなしでした。
式だけは父の会社の人や友人がパーティを開いてくれて人前式だったそうです。

父が苦い顔で振り返ることがあります。
「正直に言うと、皆の心遣いより貰った祝儀の額が嬉しかった。貧乏すぎるとそういう間違いをおこす。
今でも恥ずかしくてしょうがない。二度とあんなさみしい気持ちになりたくない」

わたしに残された遺産は(たいした金額ではありません)手つかずのままでした。
「それに手を付けるようでは、どっちみち長くはもたなかった」だそうです。

母も育児や家事で実家を毎日質問攻めにしていても、金銭の援助はなかなか受け取らずに祖父母を困らせました。
「意地だったわ。若かったなあ(遠い目)」だそうです。

わたしが中学にあがり家事をするようになると、母はフルタイムで働くようになりました。
父もそのころ昇進し家計は改善されたと思います。

高校も行かせてもらえることになり、私立の進学校と公立を併願しました。

私立を受けたのは「諸費用全部タダ」の「特待」を狙っていたから。

その高校のOBで1年と3年で「特待」2年は「準特」だった優等生の父は、すぐにわたしの意図を察しました。

「私子には勧めたくないな。成績順だけの生活は思う以上に苦しいぞ。将来のためじゃない勉強のための勉強だ。 好きじゃなくても金のために勉強、プロみたいに・・・」
「勉強のプロ?なにそれかっこいい」
「ちょっと、嫁子きてくれ」
「あなたが兄さん(私子の実父)に迷惑かけたくないって特待狙ったのと同じじゃない。私子の気持ち分かるでしょ」
「分かるしありがたいからそこまでさせたくないだろう」
そんな事ももありましたが、結局 「特待」も「準特」もだめでした。
でも、その下の「奨学生」(授業料7割引き)に引っかかることができました。

ある高校2年の時、 我が家に妹が誕生しました。
ひそかに気にしていたので大喜びでした。
「赤ちゃんかわいいー」と無邪気にはしゃいでた。

そんな中、親戚は「やっと本当の子か」「私子、お役御免だな」「妹に悪さするんじゃないか」 と嫌みを言ってきたりしました。

初めて私は父が人に殴りかかるのを見ました。
コレを期に、それまでも疎遠だった親戚と完全に絶縁することになりました。

この出来事で私は心因性ナントカで倒れて入院。

父は繰り返し「お父さんが甘かった。私子、すまなかった」といってました。

父は毎日産院と私の入院先を往復して、親戚と喧嘩もしていて、疲れたところを祖父に捕まって
「なぜ相談にこない? あれ(母)もきみも一人で抱え込むのはどうなんだ」と怒られていました。
父の泣いているところも初めて目にしました。

一人で抱え込むと父でも怒られるのかと安心しました。

妹と私子の関係は全然大丈夫でした。
むしろ可愛すぎました。
どっちが大事とか関係ないから。


もう修羅場はないと信じたいです。

私の両親は本当に自慢です。

ここまで育ててくれてありがとう。

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【回覧注意】 兄嫁のいじめで私の人生は狂った。 [家族修羅場]

高校1年の時、兄が結婚した。
兄と兄嫁は結婚してそのまま兄実家(=私もいる)で同居し始めた。
新婚当初は、私と兄嫁は仲悪くはなかったと思う。
半年した頃から兄嫁に嫌味をいわれはじめるようになった・・・。

そこから私の人生は狂い始めた。

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剣道部だった私。

「妹ちゃん臭いねw」(入浴後)とか
「妹ちゃんの甲手って馬糞みたいな匂い」
(洗って陰干ししていたのをわざわざ匂い嗅いでいう)
とか部活関係を主に成績や異性交遊についても。

当時、私は恋愛よりも部活一辺倒だったため、
「彼氏できないんだ?wいきおくれ確定だね」
「むしろ行かず後家かな」等の嫌味は非常に煩わしくて仕方なかった。

一方、母と兄嫁は仲が良かったらしく、
母に相談しても「兄嫁さんがそんなことするわけないでしょ」
なんて言っていて相手にしてくれなかった。

兄もそうだった。

むしろ嫁いびりやめろ、と私の頭をひっぱたいた。
父は無関心だった。

高3の時、兄嫁から財布をもらった。
ブランド物に疎い私は正直イラネと思いつつ、
関係改善に期待しつつ、それをもらった。あとはバッグとか。

貰いっぱなしは悪いと思っても
バイトしてないからお礼の品を買うことなんてできない。
だから兄嫁の家事を率先して手伝った。

そんな中、センター試験二日前、ある事件が起こった。




父母兄がいきなり部屋に入ってきた。

みんな鬼みたいな顔をしていた。
兄に腕を乱暴に引っ張られ椅子から転げ落ちた。その間、
母は襖の中をあさって兄嫁からもらったバッグや財布を
見つけて金切り声をあげていた。

「兄嫁さんの!あんたって子は兄嫁さんの盗んで!」 って。

父にどういうことか尋ねられた。

兄嫁にもらったと答えると「うそつくな」と殴られた。
何万もする財布やバッグをほいほいやる人なんかいないだろう、と。
嘘ついてないと言っても、父母兄から見れば盗品は私の部屋にあって盗みがばれたのに貰ったものだと開き直る私を信じるはずもなく、夜があけるまで説教(というより罵倒)された。

次の日は何していたか覚えていない。
翌日、翌々日のセンターを終えて吐いた。

それから父母兄と話し合いが始まって、泥棒は家にいらないし学費も払わないと言われ、
高校卒業とともに家を追い出された。
センターで第一志望合格していたんだけど、学費が無いため授業料免除とった第四志望の私大に行った。あとは奨学金で生活した。

その後、卒業しそこそこ良いところに就職した。
しばらくして、実家からコンタクトがあった。
理由は、兄夫婦の子が病気になってドナーが必要だったから。
そもそも生まれたなんて知らないわ。

それで懇願されて検査を受けたところ、私は適合したらしい。
兄夫婦に土下座されて是非移植して欲しいと懇願された。
だから兄嫁に「何でセンター二日前を狙って濡れ衣を着せたのか」を聞いてみた。返答次第では提供もやぶさかではないよ、と言い添えて。

兄嫁の答えは非常に下らなかった。

私が女子高生で部活等で青春していたからだそうだ。
本当に下らない。
「子どもが大切なんですね」と聞いたら
「当たり前じゃない!自分の子なんだから!」と言われた。

だから、提供を拒否した。

兄嫁発狂、父兄呆然、母号泣。そんな大切な子ならなおさら、提供するはずがない。

子どもに罪はないってよく言うけれど、
兄夫婦の子というだけで憎しみの対象だから。

その子がドナーが見つからなかったため死んだという知らせを聞いたので、祝電の準備をしつつ記念かきこ。

ちなみに両親、兄から謝罪はあったけど許すわけないのでそのまま絶縁宣言してある。


それから、兄嫁は多分復讐できないないと思われる。
私は向こうを把握しているけど、 向こうは私がどこにいるのかさえわからないと思う。

絶縁宣言したと言ったが、正確には絶縁したわけではなく、私から接触することはできるけど、向こうからは無理、みたいな状態。

ベストポジションだと思う。

言いたいことだけ言ってあとはニラニラしながらオチする。

兄嫁は鬱状態だから、電話でたまに励ましてあげてる。
「子どもも残念だったけど、次頑張ってね。すごく楽しみにしてるから」って。
兄嫁不妊らしいけど。


兄嫁が発狂してるのを見て喜ぶ私もだいぶ病んでると思う。
病院には遠回しに入院を すすめられたけど入る気はない。
今、人生で一番楽しいから。

両親には人でなしと言われたけれど、人でなしだから痛くもかゆくもないし、
人でなしにしたのは誰だと問い詰めたい。

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死ねという姑へ仕返し。実際に死んでみた(偽首吊り) [姑問題]

去年の話。

あんたなんか死ねばいいのにとか、
墓所や墓石の広告をもってきて
「これなんか嫁子ちゃんにいいんじゃない~自分の貯金もこれくらいあるでしょ?」
とか言いつつ見せてくるような姑。

私も夫も義姉兄もウンザリだった。

どんなにシメても
「だって、いつか死ぬわけだし~」と悪びれる様子ない。

だから、義兄姉・夫で姑を追い出す仕返しを考えた。

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ワイヤーアクション用の器具を
(両脇~胸~腰~股にかけて固定して「吊り」をするための器具)
義兄が職場から譲ってもらってくる。

姑を夫と義姉兄が飲みに連れ出す。

帰宅の連絡をもらって、私は義姉夫に手伝ってもらって玄関鴨居で偽装首吊り。

玄関たたきのコンクリートに
「お母さん手を煩わせてごめんなさい。お母さんの死ねという望みどおり嫁子は死にます」
と油性マジックで遺書を書いておいた。

姑と夫、義姉兄が帰宅。
打ち合わせどおり腰を抜かす義姉。

私に取りすがって「嫁子!!嫁子おおおお!!」と号泣する夫。
遺書を発見する義兄。

姑は泡を吹いて腰を抜かして失禁。
「私のせいじゃないナンマンダブナンマンダブ」と唱え続ける。
都合よく駆けつける(家の近くで待機していた)義姉夫。

「警察を呼ばなくちゃ!!」と皆が口を揃えて言うのに、
「私は悪くない悪くない」と言いつつ布団に潜り込む姑。

仕返しは、これだけでは終わらない。

深夜2時に、また続きがある。

作戦としては、
私と夫の自宅(母屋)の窓からトメ宅(離れ)を義兄姉たちが見張り。

夫は義兄姉からの報告を受けて臨機応変に動けるよう待機。
姑宅のブレーカーは落としておく。

私は、首にドーランとアイブロウで縄の痕メイク、唇までグリーンファンデで死人メイク。
髪は入浴時にトリートメントをせず、霧吹きで生乾き状態。
服装は首吊り時と同じ。

その格好で姑の枕元にそっと這い寄り、仏壇の鐘を鳴らしてアピール。

姑が気付いたら、暗がり(トメ寝室は街灯の光がかなり差し込む)縄の痕を見せながら

「おかあさあああん見てくださいお母さんの言うとおりにやっと出来ましたあああ
これで嫁子も良い嫁になれますうう
お母さんの言うとおりに死ねましたあああ
お母さんずっと嫁子に死ねって仰ってましたもんねええええあああよかったよかったああ
ようやく良い嫁になれましたあああ
義兄姉さんもこうすればよかったのにいいい
義兄嫁さんもおおおこっちに義兄嫁さん連れて行きますううう
良い嫁に良い嫁にいいいいいい」

と「お前のせいで吊った」「良い嫁になれた」アピール。


姑が逃げたら廊下を這いずって同じことを繰り返し、
布団に潜り込んだら布団の周りを回りながら繰り返す予定。


頃合を見計らって夫登場、どさくさに紛れて暗がり(納戸)へ私は消え、
夫は号泣、姑のせいだと責めて叱り飛ばし
その後私がどこで登場するかは姑の反省次第のはずだった。


しかし、いざ決行すると…





姑は寝室の襖を閉めずに寝るのでそっと入り込み、仏壇の鐘を鳴らす。

その時点で「あっババああばばあばあばばばばあああ!!」と飛び上がる姑。
寝入ってはいなかったらしい。
布団の上にへたり込んで再度失禁。

ガクガク震える姑に正座のままでそっと身を乗り出して縄の痕を見せると
私を突き飛ばして裏口へと走っていった。
光の速さで。

さすがにこんなに物理的に大きな反応を見せる事態は想定外で、
異臭漂う部屋にひとり取り残される私。

母屋のほうへ走っていく足音、
夫義兄姉に向かってか、泣き叫びながら喚き散らしているのが聞こえてきた。

とりあえず姑の寝室に仕込んであった「お母さんごめんなさいごめんなさい」と
写経のように半紙に書き連ねたもの(半分はコピー)を部屋中に撒き散らしておく。
本当は朝か、翌日以降に撒くはずだったが、手持ち無沙汰だった。


そして予定通りに納戸の陰に退散。

夫が「嫁子!!嫁子が出たって本当か!!俺も、俺もひと目会いたい!!」
と叫びつつ姑を引きずって戻ってくる。

寝室に撒き散らされた半紙を見て、姑再度絶叫。
アイイイイアイアイアアアア!!みたいな感じだった。

半紙を拾い、
「お袋のせいだぞ!!嫁子、嫁子まだいるのか!!気は済んだか!!」と叫ぶ夫。
返事があるはずない。

「気が済んでないのか、許せないのか嫁子!!」
「アイイイイイ!!」
「お袋が許せないのか嫁子!」
「ヒイイイイ!!」
「そうか……そうだよな、なあお袋…」
「ああああたしは何もおおおお」
「他人に死ねって言うってのは、こういうことなんだぞ!!」
「アイイイイイ!!」
「嫁子はお袋の言うとおりに死んだんだぞ!!」


ここら辺で納戸に隠しておいた携帯からメールで義兄姉に連絡。
ふたりもやってくる。
義姉夫は母屋で待機。

「ごべんなざいいいい!!ごべんなざいいい!!」
と小便塗れで泣き喚く姑を、3人で冷たい目で凝視。

「でも、なあ……嫁子ちゃんの気は済まないだろうなあ…」
「そうよ……可哀想に、まだ若かったのに嫁子ちゃん…母さんが虐めたばっかりに…」
「お袋、殺人犯だよ…警察に行こう…そうじゃなけりゃ、きっと嫁子が…」
「ああ…きっと嫁子ちゃんが許さないわ…」

「アイイイイイ!!ごべんなざいいい!!」


ここで義兄からの目配せで私登場。

「………この家から出て行くか」
「はいいいいい!!」
「義兄嫁さんに土下座して謝るか」
「はいいいい!!」
「兄さん姉さん夫に土下座して謝るか」
「はいいいい!」
「わたしにはあああああああ!!」

と言いつつ縄の痕を見せる。
姑はその場で土下座。
全員で冷たく見下ろす。

今まで実子に散々迷惑をかけてきたこと、
元夫にも迷惑という言葉では言い表せないことをしてきたこと
嫁というものを散々虐めてきたこと、
自分はこの家では厄介者の居候であることを土下座しながら謝罪させた。

もちろん、この一部始終はビデオにおさめている。
カメラも仕掛けてはいたが、あまりいい絵は撮れてなかった。

私は母屋に引っ込み、姑とは顔を合わせていない。
予定通り今週中に引っ越させる。

思っていたより爽快ではなかった。
愉快ではあったけど。。。

反省より恐怖が濃かったからかなあ。
次があるなら、もっと上手くやろうと思う。


終わり。

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実父(51)が婚約者(26)と浮気していた修羅場 [カップルの修羅場]

これは2年前に起きた。

ある日、俺の父親(51)の彼女のAさん(38)から大事な話があるので実家に来てほしいと連絡が入った。 
指定された日時に実家を訪ねて、玄関を開けると父親と俺の婚約者のB(26)が二人揃って土下座してた。 

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思わず固まってしまった俺(25)にリビングのドアから出てきたAさんが
「これはほっといていいから、向こうで話しようか」と 
父親とBをゴミを見るかのように一瞥した後、俺をリビングへと促した。 

この時点でなんとなく察しがついた俺。
黙ってリビングへ移動した。 


《Aさんの話の要約 》
・俺から婚約を報告された直後に、父親から突然別れ話を切り出された。
・Aさんは納得いってなかったけど、よく話し合った結果、別れることになった。
・しかし別れた後、腕を組んでシティホテルに入っていく父親とB(Aさんと面識あり)の姿を見かけてしまった。
・ホテルで俺と待ち合わせてる可能性もあるので、念の為に俺に連絡入れてみたら、俺は仕事中だった。
・式場の下見なのでは?とも考えたが、もやもやが消えないので興信所に調査を依頼した。
・真っ黒だったので俺を実家に呼び出す一方で、父親とBにも証拠を突きつけ、呼び出しておいた。


・俺から婚約を報告された直後に、父親から突然別れ話を切り出された。
・Aさんは納得いってなかったけど、よく話し合った結果、別れることになった。
・しかし別れた後、腕を組んでシティホテルに入っていく父親とB(Aさんと面識あり)の姿を見かけてしまった。
・ホテルで俺と待ち合わせてる可能性もあるので、念の為に俺に連絡入れてみたら、俺は仕事中だった。
・式場の下見なのでは?とも考えたが、もやもやが消えないので興信所に調査を依頼した。
・真っ黒だったので俺を実家に呼び出す一方で、父親とBにも証拠を突きつけ、呼び出しておいた。


話が終盤にさしかかる頃にはAさんは平静を装いながらも時折嗚咽を漏らしていた。
証拠を確認したら、ひどいなんてレベルじゃなかった。

日帰り旅行に始まり、ラブホ前でキス、勿論、実家にも連れ込んでた。

小さい頃に病気で母を亡くして以来、父一人子一人だった。

まさか父親(以下、屑)が息子の婚約者に手を出す屑だとは思ってもみなかった。

気づいたら、土下座してる屑をゴルフクラブで殴ってた。

Bがこの時、失禁してたのをよく覚えてる。
そしてそんなを俺を見てBは「殺してやる」と 半ば本気で言っていた。
Aさんが止めに入ってくれて、その後の事を話し合った。




話し合った結果、B親に報告するのは早い方がいいということで、その場でB親に連絡を入れ
先方の了解が取れたのですぐに会いに行くことになった。

家を出る時、屑が玄関のところで丸くなってうめき声をあげていたので
Aさんが傍らで泣いてたBに「救急車呼んであげれば?」と声をかけてた。

B親には色々と言われたけど、Bのメールを見せたら俺も被害者であるということを理解してくれて
「娘がすみませんでした」「屑がすみませんでした」とお互いに謝罪し合って終了。
婚約の話は白紙にするということで決着がついた。
B実家を出てから、Aさんと別れ、自分の部屋に帰って酒飲んで寝た。

その後、Bとの思い出の品や屑縁の品をまとめて捨てたり送り返したりして後始末完了。
共通の友人達にはBが浮気したから婚約の話はなくなったと屑の事を伏せて説明した。
慰謝料とかは事情が事情だし、もしかしたら請求できたのかもしれないけど
屑共と関わるのが嫌だったのでしなかった。

その後、一度、屑とBからそれぞれ手紙が届いたけど読まずに捨てた。
Bとはもう会うことないだろうし、屑はもう死んだんだと思ってる(葬式にも出ない)。
それから母方の祖父母に事情を説明して、母親の位牌、遺品等は屑からきっちり回収してもらった。
父方の祖父母にも事情を説明して屑と縁を切ったことを報告した。
Aさんとは、たまに向こうから連絡が来るので会ったりしてます。

最近、Bから手紙が来て、そこには俺の事をずっと待ってます的なことが書いてあったけど
友人(奥さんがBと仲がいい)にこんな手紙が来たよって話をしたら
Bは「年下の恋人に浮気されて、その浮気が本気になって、Bは捨てられた」らしい。
なるほどねと思いつつ、酒の席だったので、酔った勢いでBの浮気の真実をついつい話してしまった。
その日は飲み代が友人の奢りになったので、ちょっとラッキーだった。
B親には色々と言われたけど、Bのメールを見せたら俺も被害者であるということを理解してくれて
「娘がすみませんでした」「屑がすみませんでした」とお互いに謝罪し合って終了。
婚約の話は白紙にするということで決着がついた。
B実家を出てから、Aさんと別れ、自分の部屋に帰って酒飲んで寝た。

その後、Bとの思い出の品や屑縁の品をまとめて捨てたり送り返したりして後始末完了。
共通の友人達にはBが浮気したから婚約の話はなくなったと屑の事を伏せて説明した。
慰謝料とかは事情が事情だし、もしかしたら請求できたのかもしれないけど
屑共と関わるのが嫌だったのでしなかった。


その後、一度、屑とBからそれぞれ手紙が届いたけど読まずに捨てた。
Bとはもう会うことないだろうし、屑はもう死んだんだと思ってる(葬式にも出ない)。
それから母方の祖父母に事情を説明して、母親の位牌、遺品等は屑からきっちり回収してもらった。
父方の祖父母にも事情を説明して屑と縁を切ったことを報告した。
Aさんとは、たまに向こうから連絡が来るので会ったりしてます。

最近、Bから手紙が来て、そこには俺の事をずっと待ってます的なことが書いてあったけど
友人(奥さんがBと仲がいい)にこんな手紙が来たよって話をしたら
Bは「年下の恋人に浮気されて、その浮気が本気になって、Bは捨てられた」らしい。
なるほどねと思いつつ、酒の席だったので、酔った勢いでBの浮気の真実をついつい話してしまった。
その日は飲み代が友人の奢りになったので、ちょっとラッキーだった。
その後どうなったかは知りませんw


なんかAさんがただの彼女なのにでしゃばりすぎな印象だったので補足しておくと
・屑とAさんは10年以上付き合ってて通い妻状態だった。
・10年以上付き合ってるのに入籍もしてないのはAさんの両親が反対し続けてたから。
・俺もAさんと10年以上の付き合いだったので実の母親のように慕っていた。
・屑とAさんは当時、同じ職場だった
(B親のたび重なる職場凸で取引先にも迷惑をかけた為、その後、屑は自主退職)。

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彼氏の浮気現場を彼氏の両親とビデオ上映会 [カップルの修羅場]

5年前の話。

私  当時24歳 社会人2年目。喪女 
元彼 当時33歳 私とは別の会社。営業職 
間美 当時20歳 元彼の営業先で働く事務員 

元彼はルックスもよく、こんな私にもすごく優しかった。
こんな人に告白されてつきあえるなんてと本当に天にも昇る気持ちでした。 


元彼と4年遠距離恋愛した後、
地元を離れ元彼の住む場所で就職・同棲。
 
友人もいない見慣れぬ地で
すごく寂しく、少しでも元彼と一緒にいたくて、
仕事も無理を言って土日に休みを頂くことも。

休みが合わない日、
元彼は頻繁に友達と遊びに行ったり
実家に帰ったりしてた。(元彼談)

私は友達がいなかったし、
一人で家の事をしてた。

その時はそんな状況でも元彼といられるなら幸せだと思っていました。

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同棲して2年目にさしかかる頃、
婚約指輪を元彼からもらいました。

前々から欲しがっていた指輪です。
幸せの絶頂だと思った。

同棲して2年半頃の夜、
元彼が車に置いてあるファイルを取ってきてくれと、私が取りに行くことに。

ファイルはすぐ見つかりました。

その時、女の勘とでもいうんでしょうか。

普段覗いたりしない元彼の仕事用バッグ。
「絶対に見なければいけない!」という気持ちが・・・。

罪悪感と戦いながらバッグを漁りました。

そうしたらかわいらしいキャラクターの表紙のアルバムが出てきました。

明らかに元彼の趣味とは反するモノ。
しかも「★元彼と間美の愛のアルバム★」と書いてあった。

恐る恐る中を見てみると、
見知らぬとても可愛い女の子(以下間美)と元彼が楽しそうに笑っていました。

あちこち遊びに行った先で撮ったのか、
間美は髪型や服装がほとんど違っていました。

元彼は私があげた婚約指輪のお返しの物を数点身につけていました。
(時計などではない物を元彼が望んだので少し特殊な物です)

高級ブランドの物だったので間美に見せびらかしたかったのでしょうが、元彼にとっては私との婚約の証でもある物を身につけて満面の笑みで間美と写っている写真を見ると血の気がスーっとひいた。

ハダカの間美。
元彼にも吐き気と、嫌悪感を感じた。

元彼を信じて、知り合いも誰もいない地で頑張ってきてこれかと。
不思議と涙は出なかった。


動悸と息切れ、吐き気と戦いながら
ファイルとそのアルバムを持って家に戻った。

普段見ない玄関の戸棚にアルバムを隠して、
挙動不審になりながら元彼の元へ。

元彼が寝た後に元彼の携帯を盗み見。

しかしそこに怪しいメールも着信も見つからないまま
間美が誰なのかという気持ちと、裏切った元彼に復讐してやりたい気持ちで一睡もできなかった。

次の日、休みをもらって、写真屋に。
アルバムの写真を全部複製してもらった。
(証拠隠滅で破かれた時用です)

複製まで時間がかかりましたが、
その間アルバムが無くなっているのはバレていないようだった。

写真複製をお願いした日に興信所にも行き、
次の土日祝日の3連休に実家に帰ると元彼が言っていた日に狙いを定めた。

その日が怪しいと思ったから。

安い興信所にお願いし準備万端。


地獄に落としてやろうと決心した。




3連休初日、元彼はニコニコの笑顔で私を見送ってくれた。

家の周りに怪しい車などなく、興信所大丈夫か…?と思ったのもつかの間。
そこはプロでした。

仕事の休み時間に「女性と合流しました。尾行続行します。」とメールが。
仕事中、『証拠確保――!』と喜びで頭の中はいっぱいだった。

3連休が明けて少ししてから、
結果を受け取りに興信所へ。

そこで資料を渡され、懇切丁寧にビデオで
「はい、ホテル入りました。ここから暫く出てきません。泊まりです。」等説明して頂きました。

元彼と間美が手をつないでホテルへ入る所や、
楽しそうにアイスの食べさせあいをしている映像を見て、
ドキドキしながらも『仲良しなんですね~』と他人のような感じだった。


資料を受け取ったその日の夜、
元彼の両親を招き、
食事会という名のビデオ上映会をした。

最初は映っているのが誰なのか理解していない様で、理解すると元彼母親真っ青、父親真っ赤、元彼真っ青と色どりがキレイで面白かった。


「この娘は誰だ」と父親が怒鳴り、
元彼が間美は営業先の事務の子だ明かした。

怒鳴り散らす父親を制し
「間美と会って2人だけで話がしたい」と
元彼に言うとアッサリ間美の携帯を私に教えた。

今考えると元彼は間美すらも盾にして逃げようとしていたのかもしれませんね。
まじでチキン(ーー;)

その際私が見たことのない携帯を持ってきたので、元彼はその隠していた2つ目の携帯を使用して間美と連絡していたことがわかった。
どうりで間美の情報が全くつかめないわけだ。

とりあえず間美と話をして、
元彼への措置を言い渡すとし、
元彼は両親に連れられ実家へ強制送還された。

間美の携帯にかけると、
間美はひどくびっくりしてた。

どうやら婚約者がいたとは知らなかった模様。

とりあえず話が聞きたいとのことで意見が一致したのでファミレスで合流しました。

話を聞いたところ
・婚約者がいるなんて知らなかった
・つきあって8カ月
・元彼から告白された
とのこと。


こちらは婚約状況であることを元彼と私のイニシャルが入った婚約指輪を見せて説明。
途中で泣かれちゃって困りましたが、本当にショックだったようでした。

間美が3人で話がしたいと言い出したので許可しました。

間美に実際会ってみて超がつくほど可愛く尚且つ性格も良い子だったので、元彼の本命は間美であることはなんとなくわかりました。

元彼がファミレスに来るまでの間に「元彼は多分どちらかを選べってなったら間美を選ぶと思うよ。私は元彼もういらないからあげるよ」と話したら、間美は「私さんが不幸になるのに自分だけ幸せになるなんてできない」と言っていた。

本当に良い子です。

こんなに良い子を騙していたなんて
元彼に再度むかつきました。 

元彼が到着し3人での話がスタート。
元彼はちゃっかり間美の隣に座り、無表情でうつむいて黙ったまま。

「私さんと婚約してたって本当なの?恋人いないって言ってたじゃん」と間美が語りかけ、やっとしゃべりました。

「悪いけど俺間美とつきあってるから」と元彼が私に言いました。

だから何ー?と目玉ポーンな状態の私と間美。

「えっとそれは間美とつきあっているから、私とは婚約解消してくださいって解釈でよろしいですか」と思わず元彼なんかに対して敬語になってた。

「そ」とふてくされたみたいな感じで元彼は言った。

途端に間美は汚物を見るかのような顔で元彼を見て「最ッ低」と。

「私さん、帰りましょう。また連絡します。」とその場はお開きになった。

間美によるとその時元彼に家までついてこられ泣きつかれたらしい。
どこまでもチキン。


その後弁護士を雇い、
興信所の証拠と間美の協力から
元彼に慰謝料を請求。

あとは

・元彼の会社に内容証明を送ったので会社に今回の件がばれ、元彼は降格しもう昇格はないこと
(営業中に間美とデートしていた様です)
・間美によるクチコミで数々の営業先との関係が険悪になったこと
・本命の間美に逃げられ精神的に参った


その降格処分に不満な謎子(元彼との関係は不明)が嫌がらせ電話をしてきたり、元彼から「お前のせいで~しぬしぬ」と怪メールが来たり、
元彼の母親から「金をとるとはどういうことだ、そもそも浮気されるほうにも問題g(ry」とほとんどシャウトのヒステリックな電話と怪文書をいただいたりと色々ありましたが、弁護士さんに頼んで一掃して頂きました。


来月、私は今彼と結婚するので厄落としに。

読んで頂いてありがとうございました。

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